2020-05-28 第201回国会 参議院 法務委員会 第9号
そして、戦後は男女同権になって大きく民法を変えられたんですが、この単独親権は残りました。その上、近年は女性団体の一部が、DVから逃れるためにということで単独親権制度を共同養育や共同親権に変えることに強く反対をしておられます。確かに、DV被害、壮絶です。いろいろ私も、具体的に知り合いもおりますし、それからいろいろなケースを読ませていただいております。
そして、戦後は男女同権になって大きく民法を変えられたんですが、この単独親権は残りました。その上、近年は女性団体の一部が、DVから逃れるためにということで単独親権制度を共同養育や共同親権に変えることに強く反対をしておられます。確かに、DV被害、壮絶です。いろいろ私も、具体的に知り合いもおりますし、それからいろいろなケースを読ませていただいております。
例えば、選挙制度で普通選挙制度を導入するとか、あるいは男女同権にするとかという、こういう歴史を今までやってきたんですけれども、今から振り返ると、それはまさに立法事実があって、必要性があってというふうなことであるんですけれども、むしろそこでは、国民たちがそれがないと困るというケースもありますけれども、国として一つの方向性を示し、そちらに向かっていくと。
男女同権。女性差別、女性蔑視などという見方がされないように、国技、公益財団法人、多額の税金も投入されているわけですから、国民の理解、支持なくしては、国技としての大相撲、本当に存続していくことができるんでしょうか。
○国務大臣(松野博一君) 従来どおり、教育勅語の中における文言に関しましては法的拘束力が失効しているものでありますから、私からコメントは差し控えさせていただきたいと思いますが、吉良先生の方からお話があった男女同権、男女平等というのが当然の原則だという御指摘はそのとおりであると思います。
長谷川委員、ある新聞社に男女同権を否定するような投稿をされたり、また朝日新聞社の中で起きた、あれは言論報道機関に対する威圧行為ですので私はテロ行為と言わざるを得ないと思いますけれども、テロ行為についてそれをある意味賛美するような、そして象徴天皇制を否定するような追悼文を出されているところでございます。
○島尻安伊子君 この女性の社会参画というのは、これまでは男女同権とか人権の問題として捉えられがちだったということなんだけれども、今回のこのアベノミクスでの捉え方は女性が経済成長の一端を担うという。で、ラガルド専務理事はマクロ経済の視点から日本が取組を進めていることを評価しているということも、あちこちでこれ見聞きするものでありますけれども、私は大変これを誇りに思います。
そして、個人の尊重及び男女同権に加えて、自立する個人を支える基盤となる社会の自然かつ基礎的な単位である家族の価値と、それを保護すべき国の責任を人権の通則的原理として規定する方向を検討してまいります。 環境権につきましては、良好な自然環境を享受することは国民の権利であり、同時に、その保全は国家及び国民の義務であると解します。
解説しますと、個人の尊重及び男女同権に加え、自立する個人を支える基盤となる社会の自然かつ基礎的な単位である家族の価値と、それを保護すべき国の責任を人権の通則的原理として規定する方向で検討します。 つまりは、社会政策として、維新の会は、仕事と家庭、日々の生活を両立させ、心身ともに健全な生活を送ることができるよう、環境整備を行うことをうたっています。
全世界に十億人を超えるカトリック教徒がおり、イスラエルも、そしてカトリック教徒も、男女同権思想が強いけれども、ローマ法王が男だということに誰も異論を差し挟まない。それは、長い歴史、伝統、文化のなせるわざであり、誰もが当然のことと思っている。日本の皇室は、百二十五代男系で続いた、とうといものである。世界唯一の存在ではないか。何で日本人はそのとうといものを変えようとするのか。
戦後、男女同権、男女共同参画社会等々言われてまいりましたが、戦前は良妻賢母、いわゆる嫁しては夫に従い、老いては子に従うというのが女性の模範的な姿と、こう思われておりました。
戦後レジームの脱却ということを言われておりますけど、私は、先人が築き上げてきたものというのは、男女同権であり教育の機会均等であり、国民皆保険であり国民皆年金だと思っているんです。これは守らなきゃいけないと思っているんですね。 そこで、申請主義に偏っていくと、じゃ国の責任はどうなると。これは、金融庁は民間の会社に対して業務停止命令まで出したわけですよ。私たちは業務改善のことをずっと申し上げてきた。
○国務大臣(伊吹文明君) 昭和二十二年にこの法律が制定されましたときは、先生御承知のとおり、男女同権ということはまだまだ定着はしておりませんでした。女性には投票権がないような時代だってあったわけですから。そして、その後、共学ということがもう今完全に定着をしてきているわけですから、ここの男女の平等という、二条にこのことを書くことによって更に強くなったという御解釈で、別段私は何ら支障はないと思います。
それは異性を感じていかなきゃいけないのは、これはもう男女同権の中で当然なんですけれども、しかし、もうちょっと何かお互いに知らない部分があってもいいかなと。
実は、私ども経労委報告というのを毎年お出しして、お読みいただいている方もいらっしゃるかと思いますが、そういう中でも、余り細かなことは書いてございませんが、この法の遵守ということ、あるいは先ほど言ったワーク・ライフ・バランスであるとか男女同権とか、そういうことというのは常に書きながらその周知を、また思いを伝えることに努めているということでございます。
教育を受けるときには男女同権だと言われて育って、社会に出れば子供を産むことだけを期待されているのでは、女性は教育を受ける意味がないんです。女性に厳しい現状を女性自身が熟知しているから、結婚をためらい、出産をためらって、そして気がついたら子供を産めない年齢になってしまっている、だから少子化が進む、こういったことが起こっているんです。
その中でも男女同権ということは結構守られていた、そして、女性から離婚することも可能であった。これはあそこの社会でですよ。そういうこともあった社会だと言っただけで、決してバース党がすばらしい党だと申し上げたことではないということを強く申し上げておきます。そして、その中で人権擁護が行われていたということでもない。
独裁的なフセイン体制においてさえも、バース党は男女同権を公言し、女性から離婚が可能であったし、専門職につく女性も一般的でありました。その政権を排して国際社会が多くの犠牲を出してつくり上げた国家において、治安問題の陰でなおざりにされている社会的弱者や少数者の人権擁護について我が国としては積極的に働きかけていく必要があると考えますが、いかがでしょうか。町村外務大臣の御見解を伺います。
そこで、ジェンダーフリー思想のおかしさといいますか、男女同権とは何の関係もないですね、その思想の乱暴さといいますか空想的といいますか、その辺の御説明をもう少ししていただきたいのと、母性支援の在り方、とりわけゼロ歳児あるいは三歳児までの支援の在り方について何か御示唆があればお伺いしたいと思います。
非拘束名簿式は個人本位のようだが実際には選挙に強い人が勝ち、衆議院と同様の人が当選する結果となる、拘束名簿式であれば政党が見識ある人を上位にしたり男女交互に掲載することも可能となる、議員定数を極端に減らせば権威は上がりそれなりの人が出るかもしれないが各県選挙ごとに一人では小選挙区と同じになってしまう、女性議員はまだまだ少ないからといってクオータ制を強制することは適当でなく、ドイツ基本法のように憲法により男女同権
男女同権でありますとか、あるいは思いやりを大切にしなきゃいかぬとか、いわゆる戦前の軍国主義的発想というものをすべて消していく、それは非常に結構だったと思いますけれども、しかし、戦前というか、日本の歴史の中でよきものもすべて否定してしまうといったようなことについては、どうかなという思いがあります。 あるいは、平等というのは結構ですけれども、子供たちにはいろいろな得意のところがあります。
そして、男女共同参画社会といったような、男女同権という憲法上の規定で、女性たちが社会で男性に伍して活動する時代が出現してきたわけでございます。 そのために、結婚の平均年齢というものが二十八歳ぐらいまで落ちてきてしまった。こういう中で、晩婚化といいますか、初子の、第一子の出生の年限が非常に遅くなってきた。